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東京地方裁判所 昭和49年(モ)15084号 判決

申請人 内藤幸子

右訴訟代理人弁護士 小池通雄

同 川上耕

同 小林和恵

同 沢藤統一郎

同 市来八郎

同 亀井時子

同 大川隆司

同 坂井興一

同 船尾徹

同 清水順子

同 阪口徳雄

同 村野守義

同 宮川泰彦

被申請人 株式会社日本メール・オーダー

右代表者代表取締役 石井錬一

右訴訟代理人弁護士 成富安信

同 山本忠美

同 青木俊文

主文

当裁判所が、申請人と被申請人との間の同裁判所昭和四九年(ヨ)第二二九八号地位保全仮処分申請事件について、昭和四九年一〇月四日になした仮処分決定を認可する。

訴訟費用は被申請人の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  申請人

主文と同旨。

二  被申請人

1  主文第一項掲記の仮処分決定を取り消す。

2  申請人の本件仮処分申請を却下する。

3  訴訟費用は申請人の負担とする。

第二当事者の主張

一  申請の理由

1(一)  被申請人は、レコード、図書、運動用具、教育用機材等の委託製造および通信販売を主な目的とする株式会社である。なお、被申請人の前身は、昭和三七年五月に設立されたヴェンチレックス・エヌ・ヴィー日本支社であったが、同社の営業が昭和四三年六月に有限会社メール・オーダーに譲渡され、同時に従業員全員との法律関係も右有限会社に引き継がれ、さらに右有限会社が昭和四六年一二月に株式会社に組織を変更して今日に至ったものである。

(二)  申請人は、昭和三七年五月二三日、前記ヴェンチレックス・エヌ・ヴィー日本支社に和文タイピストとして雇用され、爾来、営業の譲渡、会社組織の変更の前後を通じて管理課タイプ係として勤務してきたものである。

2  被申請人は、昭和四九年三月一四日付をもって申請人を解雇したと主張して、申請人を従業員として取り扱わない。

3  申請人は、昭和四八年四月以降、被申請人から、一ヶ月金八万〇九〇〇円(内訳、基本給金七万七九〇〇円、住宅手当金三〇〇〇円)の給与を毎月二五日に支給されていた。

4  申請人は、夫内藤実、長女内藤ちひろ(昭和四七年一二月二五日生)、次女内藤ちなつ(昭和四九年八月一四日生)の四人家族であるが、夫の月収は約一〇万円であり、住居費(水道・光熱費を含む。)のみでも約三万五〇〇〇円を必要とするところ、申請人と夫とは、共に労働者であって、他に見るべき資産がなく、夫の給与のみでは生活することができず、他から金三〇万円もの借金をして何とか生計を維持している状態である。従って、申請人は、被申請人から従業員としての地位を否認され、給与の支払いを拒まれると、家族一同路頭に迷うほかなく、生活に著しい損害を蒙るおそれがある。

5  よって、申請人は、申請人が被申請人との間に労働契約上の権利を有する地位にあることを仮に定め、かつ、被申請人が申請人に対し昭和四九年六月から本案判決の確定に至るまで毎月二五日限り一ヶ月金八万〇九〇〇円を仮に支払う旨の仮処分を求める。

≪以下事実省略≫

理由

一  申請の理由1および2の各事実は、当事者間に争いがない。

二  本件解雇処分の存在について

抗弁事実(被申請人が本件解雇処分の理由として主張する外形的理由を含む。)は、当事者間に争いがない。

三  本件解雇処分の効力について

1  申請人の疾病の内容について

(一)  ≪証拠省略≫を総合すると、申請人は、昭和四八年九月五日、右拇指手根部分の自発痛(自覚的な痛み)および圧痛、右肩背部の痛みなどの自覚症状を覚えたため、大田病院(東京都大田区大森東四丁目四番一四号所在)の医師上畑鉄之丞の診察を受けたところ、同医師は、申請人が右拇指腱鞘炎および頸肩腕症候群(頸肩腕障害とも呼ばれる。)の疾病に罹患していると診断するとともに、特に当時症状の悪化していた右拇指腱鞘炎の治療が必要であると判断して、その後、これの治療に集中したこと、その後この治療を継続した結果、同年一二月頃には右拇指手根部分の疼痛は軽快したが、なお右肩背部の痛みが持続していたため、それ以後はこれの治療方法をも併せて行なうようになったこと、申請人は、このようにして大田病院の医師上畑鉄之丞から本件休職処分の以前から本件解雇処分の後に至るまで右拇指腱鞘炎および頸肩腕症候群に罹患している旨の診断を受けていること、そして、昭和五〇年七月一四日当時には、申請人の右疾病の症状は殆んど消失し、毎週水曜日に全一日休業して治療を受けるほかは通常の勤務が可能な状態となっていることが一応認められる。

(二)  ところで、医師上畑鉄之丞作成の昭和四八年九月五日付診断書、同月二六日付診断書、同年一〇月三一日付診断書および同年一一月二八日付診断書においては、申請人の病名は、いずれも単に右拇指腱鞘炎とのみ記載されているのに対して、同年一二月二六日付診断書、昭和四九年二月一三日付診断意見書、同年九月四日付診断意見書および昭和五〇年七月一四日付診断書においては、申請人の病名は右拇指腱鞘炎(あるいは腱鞘炎)および頸肩腕症候群(あるいは頸肩腕障害)と記載されている。そこで、以上の各診断書の記載を比較、検討すると、申請人は、本件休職処分の当時から頸肩腕症候群に罹患していたものではなく、昭和四九年一二月二六日以降にはじめて同疾病に罹患したものではないかとの疑問も生じないわけではない。しかし、≪証拠省略≫によれば、医師上畑鉄之丞は、申請人の病名は初診の当時から右拇指腱鞘炎および頸肩腕症候群であり、診断書にもそのとおり記載するのが正確であったが、申請人を最初診察した当時特に症状が悪化していて治療する必要があったのは右拇指腱鞘炎であったため、当初の診断書には単にこの病名のみを記載したものであると記述していることが一応認められ、この記述の信憑性を覆すに足りる疎明はないから、以上の各診断書の記載の変移は、前記(一)の認定を左右するものとはいえない。なお、申請人は、後記認定のとおり、昭和四八年八月三一日、慶応病院においても診察を受けたところ、右拇指腱鞘炎に罹っているとの診断を受けたものであるが、この診断の結果も直ちに申請人がその当時頸肩腕症候群に罹患していなかったことを推認せしめるものではないから、このことも前記(一)の認定を左右するものではないというべきである。

(三)  以上に認定したところからすれば、申請人は、昭和四八年九月当時から、従って本件休職処分ないし本件解雇処分を受けた当時も、右拇指腱鞘炎および頸肩腕症候群という疾病に罹患しており、その治療を受けていたものであるということができる。

2  申請人の疾病の原因について

(一)  そこで、次に問題となるのは、申請人の前記疾病が果たしてその従事していた業務によって生じたものであるか否かという点である。そこで、以下この点について検討する。

ところで、≪証拠省略≫によれば、腱鞘炎と頸肩腕症候群とは、一応別個の疾病であるということができるが、無理な手指の作業を連続したことが原因となって手指の腱鞘炎が生じた場合においては、その初期の段階で治療を行なわず放置していると、痛みが首、肩、腕、背部にまで及び、筋硬結などの他覚的所見が生じて、頸肩腕症候群と呼ばれる症状を呈するに至るものであることが一応認められ、この認定を左右するに足りる疎明はない。そして、≪証拠省略≫によれば、頸肩腕症候群という疾病については、現在のところ諸説が紛々としているが、これらを概括すると、この疾病は、頸椎柱およびその週辺の軟部組織の解剖学的・生理学的弱点、退行変性を基調とするものであって、臨床的には、頸、肩、腕から手指にかけての連鎖的な痛み、凝り、しびれ、脱力感および冷感等を主訴とする疾病である反面、炎症、腫瘍、脱臼、骨折等の局在性の疾病は除外すべきであることが一応認められる。さらに、≪証拠省略≫によれば、この疾病は、後部頸交感神経症候群としての頭痛、項部・後頭部の痛み、めまい、耳鳴り、立ちくらみ、霧視、眼精の疲労、咽喉頭部の異常感、嗄声、無声、顔面痛、狭心症様の痛み、胸部の絞扼感、夜間の手指のしびれ等を伴うものであり、また、血管圧迫症候群を伴なうものであること、なお、この疾病は発病因子の不明な症例も少なくないところに、その診断の困難性のあることが一応認められ、この認定に反する疎明はない。

そこで、以下、申請人の従事していた業務の内容と従業期間中の健康状態、申請人と同じ職場の従業員の健康状態、申請人の主治医の意見等の点から、申請人の前記疾病の原因について検討を加える。

(二)  申請人が従事していた業務の内容と従業期間中の健康状態

(1) 申請人が、昭和三七年六月から昭和四一年五月頃までの間、会員にダイレクトメール、注文品などを郵送するため、ステンシルカードと呼ばれる謄写用原紙に会員の宛名などをタイプ打ちする作業に従事していたことは、当事者間に争いがない。そして、≪証拠省略≫によれば、申請人は、昭和四一年六月頃から昭和四二年一二月までの間、主として社内配布用の文書のタイプ打ちの作業に従事するかたわら、タイプ等に誤まりがないか否かをチェックする校正の作業や前記認定したところと同様のステンシルカードのタイプ打ちの作業等をも行なっていたこと(但し、申請人がこの間社内配布用文書のタイプ打ちの作業を行なったことは、当事者間に争いがない。)、昭和三七年六月から昭和四二年一二月までの間における申請人の健康状態は、格別異常なところはなく、むしろ良好であったことが一応認められる。なお、以上の認定を左右するに足りる疎明はない。

(2) ≪証拠省略≫を総合すると、申請人は、昭和四三年三月頃から昭和四七年二月頃までの間、ステンシルカード、IBMカード等にタイプや手書きで記載された会員の宛名に誤まりがないか否かをチェックする校正の作業を専門に行なっていた(但し、申請人が昭和四五年初めから昭和四七年一月頃までの間校正の作業に従事していたことは、当事者間に争いがない。)ことが一応認められ(る。)。≪証拠判断省略≫

また、≪証拠省略≫によると、申請人は、昭和四三年一月頃から昭和四五年初め頃までの間、肩の凝りや頭痛、さらに終業時間近くになると目がかすむといった自覚症状を覚えたが、昭和四五年初め頃から昭和四七年一月頃までの間には、これらの症状を感じなかったことが一応認められ、これに反する疎明はない。

(3) ≪証拠省略≫によると、申請人は、昭和四七年三月頃から同年五月頃までの間、筆耕担当者としてIBMカードの手書きの作業に従事し、同年六月頃から同年一一月頃までの間には、そのほかラベルの宛名書きの作業(ラベルというのは、会員にカタログ、見本品等を郵送するときに、その包装紙の上に宛名を記載して貼付する紙のことである。)と、このラベルの宛名の校正の作業とを行なっていたこと、IBMカードの手書き作業は、コンピューターに使うIBMカードというノートの表紙位の厚さの紙の下にデュプロカーボン紙を敷き、カードの上からボールペンで文字を書き、デュプロカーボン紙の粉をIBMカードに付着させる作業であって、手首にかなり負担のかかる作業であること、申請人は、筆耕担当に変ってのち一ヶ月位経った同年四月頃から、手首の痛みや肩の凝りを感じるようになったことが一応認められ、以上の認定を左右するに足りる疎明はない。

(4) 申請人が、昭和四七年一一月一三日から、出産のため休暇に入り、同年一二月二五日に、長女(第一子)を出産し、その後昭和四八年三月末日まで、産後の休暇をとったことは、当事者間に争いがない。

そして、≪証拠省略≫によると、申請人は、産前までは肩凝りの症状を感じていたが、産後の休暇中にはこれもなくなり、そのほかにも別段異常な症状は感じなかったことが一応認められ、これに反する疎明はない。

(5) 申請人が、昭和四八年四月から同年八月末日までの間、筆耕担当者としてIBMカードの手書き作業を中心として、そのほかラベル書き、校正の作業にも従事したこと、同年八月三一日以降欠勤したこと、同年九月八日に大田病院の医師上畑鉄之丞作成の右拇指腱鞘炎に罹患しているという診断書を被申請人に提出したことは、当事者間に争いがない。

そして、≪証拠省略≫によれば、次の事実を一応認めることができる。すなわち、申請人は、前記産後の休暇後一ヶ月位経った昭和四八年五月頃から再び手首の痛みを感じるようになり、同年六月頃になると、午後四時頃以降右拇指の付根部分に激しい痛みを覚えるようになり、職場に備え付けの鎮痛剤アンメルツを手首や腕に塗布しながら作業をしていた。同年七月頃には、週末に近い木曜日や金曜日になると、すでに始業前から手首の痛みを感じて力が入らなくなり、アンメルツ、トクホン等を塗布したり、携帯用の針を常用したりしながら、ボールペンによる手書きの作業に従事するといった状態であった。さらに同年八月になると、起床するとすぐ肩や背部の痛む日が続き、右拇指の痛みは一層激しくなり、包丁を使用して芋の皮を剥ぐことでもできないような状態になった。また、右拇指の付根部分に力を入れると、腕から肩にかけて電撃用の痛みが走るようになった。このようなことから、申請人は、同月三一日、休暇をとって慶応病院整形外科で診察を受けたところ、右拇指腱鞘炎との診断を受け、さらにその後、前記認定したとおり、同年九月五日以降、大田病院において診察・治療を受けているものである。

なお、証人伊藤正彦は、申請人の職場にはアンメルツは備え付けられていなかった旨証言するが、これは、≪証拠省略≫に照らして措信し難く、他に以上の認定を左右するに足りる疎明はない。

(三)  申請人と同じ職場の従業員の健康状態

(1) ≪証拠省略≫によれば、申請人の職場である管理課タイプ係には、昭和四八年八月当時筆耕担当者として申請人のほかに、小林フミエ、上原淑子、アルバイトの国井栄子の四人がいたことが一応認められ、これに反する疎明はない。

(2) ≪証拠省略≫によれば、上原淑子は、昭和四七年六月以降、筆耕・校正の作業に携わってきたものであるが、昭和四七年九月頃から、肩凝りが続き、昭和四九年一月頃には、腕・肩・背部が痛むなどの症状が現われ、同年三月一三日には、前記の大田病院において診察を受けたところ、頸肩腕障害と診断され、その後通院治療を受けていること、さらに同年八月二八日、品川労働基準監督署から、右疾病を理由として、労働者災害補償保険法に基づく療養・休業補償給付の支給決定を受けたことが一応認められ、以上の認定を左右するに足りる疎明はない。

(3) ≪証拠省略≫によれば、小林フミエは、昭和四七年七月末から、筆耕担当者としてIBMカード書き等の作業に従事していたものであるが、昭和四八年一月頃以降肩凝り等が続き、同年一二月頃になると肩の痛み等の症状が現われ、昭和四九年五月一五日には、鉄砲洲箱崎診療所において頸肩腕症候群との診断を受け、同年六月四日以降、毎週月・木曜日の午後早退して針・灸の治療を受けていること、昭和四九年一一月一八日には、品川労働基準監督署から、右疾病を理由として、労働者災害補償保険法に基づく療養補償給付の支給決定を受けたことが一応認められ、以上の認定を左右するに足りる疎明はない。

(4) ≪証拠省略≫によれば、小林朝子は、昭和四〇年六月から、管理課タイプ係において、ステンシルカード等のタイプ打ちの作業に従事していたものであるが、昭和四六年九月頃から、肩の凝りと痛みとの症状が現われ、特に右拇指の付根部分から指先にかけて痛みを感じるようになり、遂には右手が震え出し、タイプ打ちの作業ができなくなったのみならず、日常生活においてハンドバックを持つことさえもできなくなり、同月末頃に、鬼子母神病院において、頸肩腕症候群との診断を受け、同年一〇月以降校正の担当に変更して貰ったが、なおも右拇指等の痛みが続き、昭和四八年八月一四日には、前記の大田病院において頸肩腕症候群との診断を受け、昭和五〇年七月二一日に、品川労働基準監督署から、右疾病を理由として、労働者災害補償保険法に基づく療養補償給付の支給決定を受けたことが一応認められ、以上の認定を左右するに足りる疎明はない。

(四)  申請人の主治医の意見

≪証拠省略≫によれば、申請人の診断病名は、右拇指腱鞘炎および頸肩腕障害であると記載されており、昭和四八年九月五日の初診時における所見としては、申請人には、右拇指の手根部分の自発痛および圧痛があり、両肩筋硬結が認められたが、頸椎可動性は良好、リウマチ反応は陰性、血沈は正常であって、炎症の所見はなく、血液検査、尿検査でも貧血および腎障害の所見はなく、頸椎レントゲン検査でも頸椎の骨の変化および伸展に異常を認めないとされており、業務上疾病か否かに対する判断としては、本患者の発症の直接の原因は特に産休明け後のボールペンによる宛名書き作業に求めることができ、業務上のものとして取り扱われるべきであると記載されていることが一応認められ、以上の認定に反する疎明はない。

(五)  以上に認定した各事実を総合して検討するに、申請人の従事してきた業務の内容とその従業期間中における健康状態とを概観すると、申請人は、昭和三七年六月から昭和四二年一二月までの間主としてタイプ打ち作業に、昭和四三年三月から昭和四七年二月までの間校正作業に、昭和四七年三月から同年一一月までの間IBMカード等の手書き作業等に、さらに昭和四八年四月から同年八月までの間主としてIBMカードの手書き作業に従事していたこと、そして、その間の作業はいずれも主として手首を使用する作業であったのであり、特にIBMカードの手書き作業は手首にかなりの負担のかかるものであったこと、他方、この間における申請人の健康状態は、昭和四二年一二月までの間は格別異常はなかったが、その後に、特にIBMカード等の手書き作業に従事するようになった期間中に、肩凝り、頭痛等の自覚症状が現われるようになり、さらに産後の休暇明け後一ヶ月位経た昭和四八年五月から手首・右拇指の痛み、肩や背部の痛み等の症状が次第に増大していったこと、他方、申請人の産後の休暇期間中には肩凝り等の自覚症状が消失していたこと、申請人のこれらの自覚症状は、前記認定の頸肩腕症候群に見られる症状とほぼ同様のものと解せられること、次に、申請人と同じ職場の管理課タイプ係で筆耕を組当していた従業員四名のうち申請人を含めて三名までが医師から頸肩腕症候群に罹患しているとの診断を受けて通院加療中であり、また、以前タイプ係においてタイプ打ちの作業に従事していた小林朝子も医師から同様の診断を受けて加療中であること、さらに、申請人の主治医の前記意見は、申請人が、被申請人会社において、昭和三七年から昭和四五年までの間タイプ打ちの作業に従事し、昭和四六年以降手書き作業に従事していたことを前提として出されたものであって、この前提は必ずしも正確とはいえないが、申請人の前記疾病とその業務との間には関連性のあることを指摘していること、そして、この意見は専門家の意見として一応参考に価すること、申請人には、前記各作業に従事したことのほかにこの疾病の原因と考えられる特別の事情の存在することは窺えないことなどが認められるのであって、これらの事実から判断すると、申請人の前記疾病は、一応その業務に起因するものであると推認することができ、その間に相当因果関係があるものと認めるのが相当である。

3  以上のとおりであるとすると、本件休職処分は、申請人の疾病がその業務に起因するものであることについての認定を誤ってなされたものであって、就業規則二五条三号に違反して無効であり、従って、この休職処分が有効であることを前提としてなされた本件解雇処分もまた無効であるといわなければならない。

四  被保全権利の存在および必要性

そうすると、申請人と被申請人との間には現在でも依然雇用関係が存続しており、申請人は、被申請人に対して労働契約上の権利を有しているというべきであり、従ってまた、被申請人から賃金の支払いを受ける権利をも有するものというべきである。

そして、≪証拠省略≫によると、申請人は、夫内藤実、長女内藤ちひろ(昭和四七年一二月二五日生)、次女内藤ちなつ(昭和四九年八月一四日生)の四人家族であって、夫の月収は約一〇万円であるが、住居費(水道・光熱費を含む。)のみでも約三万円を必要とし、申請人と夫は、共に労働者であって、他に見るべき資産がなく、夫の給与のみでは生活することができず、他から金三〇万円もの借金をして何とか生計を維持していることが一応認められ、以上の認定に反する疎明はない。

そうであるとすれば、申請人が他に就職して恒常的な収入を得ているなどの特段の事情の認められない本件においては、申請人が、本案訴訟による救済を受けるまでの間、被申請人から従業員としての地位を否認されて給与の支払いを拒まれると、その生活に窮して著しい損害を蒙るおそれがあると推認することができる。

なお、申請人が昭和四八年四月以降被申請人から一ヶ月金八万〇九〇〇円(内訳、基本給金七万七九〇〇円、住宅手当金三〇〇〇円)の給与を毎月二五日に支給されていたことは、当事者間に争いがない。

五  結論

以上に認定、判断したところからすれば、申請人について、被申請人との間に労働契約上の権利を有する地位にあることを仮に定め、かつ、被申請人に対し、昭和四九年六月から本案判決の確定に至るまで毎月二五日限り一ヶ月金八万〇九〇〇円の仮払いをするよう命ずるのが相当である。

よって、当裁判所が、同裁判所昭和四九年(ヨ)第二二九八号地位保全仮処分申請事件について、昭和四九年一〇月四日になした仮処分決定はこれを認可すべきであり、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 奥村長生 裁判官 小野寺規夫 林豊)

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